専門学校で1人ぼっちの学生のみなさんへ

将来その道のプロフェッショナルとして活躍する自身の未来像と、楽しい学校生活を期待して進学した専門学校。ところがいざ新学期がスタートしてみれば、自分だけが1人ぼっちの毎日となれば、意気消沈どころかこの先卒業までの期間に対しても、不安が拭えずして当然です。

この残酷な現実どのように捉えるべきなのか、ここでは以下、1人ぼっちの専門学校生活を、いろいろな視点から冷静に検証してみたいと思います。

専門学校という集団社会に見られる特徴と傾向

より深い専門知識や技術が学べる専門学校は、中学もしくは高校卒業時点で、すでに明確に自身の進路を見据えた学生にとっては、夢に近づく最短ルートを準備してくれる教育施設です。1日も早く内定を確保することをゴールとする就活期間を経て社会人となる、同世代の総合大学の大学生とは異なり、同じ学び舎の仲間たちは切磋琢磨すべきライバルであり、同じ夢を追う同志です。

ところが残念なことに、全国各地のさまざまな専門学校に通うすべての学生が、このような志を抱いているとは限らないのも現実です。なんとなく就職したくないとの理由で「大学が無理ならせめて専門学校でも」的な価値観を保護者がバックアップしている学生は、潜在的に少なくないと言われています。

不運にも新学期のクラスもしくはグループの過半数、あるいはリーダー格となる人物が、こうした「なんとなく入学した」タイプである場合、向学心に満ちた同級生とは相容れずして当然でしょう。小中高校を問わず、学校の教室内すなわちクラス内の人間関係は、時に説明がつかない、理解に苦しむパワーバランスを生んでしまいます。

ご自身が気づけば1人ぼっちになってしまっていた場合、そこには「いじめ」や「仲間外れ」といった悪意が本当に見当たらず、自然と「そうなってしまった」可能性が小さくありません。たまたま運悪く、自身がその対象に選ばれてしまったケースです。

その他さまざまな原因が影響している場合も含め、専門学校に限らず、学生たちが構成する集団社会においては、1人で過ごす環境に置かれる人物が、どうしても生じてしまう傾向が否定できません。不運にも自身がその立ち位置に選ばれてしまったのであれば、まずはこの現実を冷静に受け止めたうえで、多角的な視点から、この現実にどのように対応するべきか、自身の今後の指針を見定める作業が大切です。

当事者にとっては理不尽な1人の理由

専門学校の同級生は、全員が同い年ではありません。大多数を占めるのは、高卒後に入学した18歳の世代ですが、年齢の離れた同級生も珍しくありません。たとえば大学で何年か学んだのち、自身の進路をリセットして専門学校で学び直す、あるいは社会人として働き、自ら稼いだお金を学費に充当して通学する同級生など、バックボーンはさまざまです。

そうしたクラス内において、やはり「大数の法則」すなわち大勢に右へ倣えの価値観が勝ってしまうのが、学校という精神的にはまだ成熟途上の集団社会です。

精神的に成熟した、自分たちより向学心に富み、着実に専門知識や技術を習得する年上の同級生は、大衆心理的には面白くない存在と映りがちです。これは専門学校に限らず、実社会や部活やサークルなど、大勢が構成する集団においては、残念ながら避けられない感情であり価値観です。

1人ぼっちの専門学校生活を、理由もわからぬまま強いられているご自身が、仮に年齢が上、大学もしくは社会人経験がある、クラス内で成績優秀であるなどの場合、こうした未成熟な集団心理が影響していると推察されます。

言葉は辛辣になりますが、諺の「弱者は群れる」に共通する、人間の弱い部分です。誰もが自身が1人ぼっちになることを恐れて保身に走ってしまうため、結果的に特定の人物を無視することで、間違ったパワーバランスとなっている状況です。

このようにいくつも想定できる、自身が1人になってしまった現実をただ嘆くばかりでは、事態の好転など望めぬばかりか、専門学校への通学の意義そのものが揺らいでしまいます。勇気を出して気持ちを強く持ち、ここからどうするのか、前向きな自問自答が求められます。

あくまでこの専門学校で学んで夢に近づくために

1人ぼっちの寂しさや不安感から確実に逃れるのであれば、退学すればすべてクリアになります。ですがこれではあまりに短絡的過ぎるばかりか、時間の経過と共に後悔の念が膨らむに違いありません。以下はあくまでこの専門学校に在籍し、キチンと通学を続けて専門知識と技術を習得し、初志貫徹からその分野のプロフェッショナルの卵としての実社会デビューを「卒業」と見据えたアドバイスです。

まずは今一度、この専門学校を選択した理由と過程を振り返ってみてください。日々登校してクラスメートと合流して、適当に授業時間を潰し、一緒に遊び回ることではなかったはずです。一生の親友となる同性、あるいは恋人から結婚相手となる異性との出会いは、あくまで二次的なメリットであり、それらは専門学校以外のあらゆる場所で期待できる可能性です。

次に自分自身の考え方を見直し修正する姿勢も大切です。専門学校のクラスは、中学や高校のそれとは違い、むしろ実社会に近い空間だと捉えてみてください。たとえば職場の同僚、上司、部下、取引先や顧客の人間などを、自身の好き嫌いで選ぶことは一切叶いません。

会社が定めた人事に基づき、上からの指示でチームを形成し、報酬を頂戴するに値する仕事をこなして「当たり前」の厳しい世界、それが実社会です。現在みなさんが不安を覚える1人ぼっちが見当たらないとすれば、それは精神的な成熟度の違いと、社会人としての大人のスタンスが、社内に疎外された人物が存在するリスクを回避しているからです。

会社は友達探しの場所ではなく、まして専門技術と知識を活かしてプロとして食べて行くのであれば、周囲は「敵」と表現しても、決して大袈裟ではない職域も少なくありません。専門学校でプロの卵を目指すのであれば、1人で過ごせる時間をむしろ、学習に適した恵まれた環境だと捉えてみるのも一案です。

確かに休憩時間や食事タイムなどは孤独ですが、少なくとも授業中に理不尽な妨害が及ぶことは考えられません。強い精神力が求められますが、凛と学び続ける姿に心を動かされたクラスメートが、もしかすれば勇気を出して、声をかけて近づいてくれる展開もゼロとは言えません。

プライベートの楽しみは校外で

先に述べたように、専門学校で過ごす時間を、実社会における勤務先の「それ」と捉えるならば、プライベートの楽しみを学校内に求めず、校外で探すメリットに気づくことでしょう。授業のない土日を利用して、同じ趣味を持つ人が集まるサークルに参加する、アルバイトを通じて別の世界を体験すれば、自ずと友人は増えていきます。

たとえば個人の工房や仕事場で、日々1人黙々と作業と向き合う職人は、仕事中に傍らに話し相手は見当りません。ジャンルを問わず特定の分野の第一線で、プロとして食べている人たちは、総じて孤独な職域のなか、自身のスキルを磨き上げ続けています。

そんな向上心に溢れた専門家だからこそ、異業種交流的に交友関係が自然と広がり、有意義なオフタイムを過ごしています。

⇒発達障害のある方が専門学校へ行ってできること

プロフェッショナルのトップランナーの回顧録に見るヒント

これはとある大物芸能人が若い日に、師匠の内弟子として仕えていた頃の回顧録ですが、修業期間の2年間は「懲役」だと自身に言い聞かせ、壁に貼ったカレンダーに、1日が終わると×印を記入していたそうです。

「あと何日の辛抱だ」と毎日を数えることで、些細な師匠からの一言や周囲から届けられるやさしさが嬉しく、芸の修得だけでなく、人間的な成長にも大きくプラスだったと語っていました。数年後の社会人として「こうありたい自分」が揺らいでいないのであれば、たとえばこの例のように、専門学校で過ごす時間を、将来の自分のための修業期間と割り切るのも、ひとつの選択肢です。

放り出すことはいつでも可能です。「1人」という現実は寂しさが否めませんが、すべてがマイナスとは限りません。